中野 貴章
Takaaki Nakano
公認会計士・税理士
経歴
2013年大阪府立三国丘高校 卒業
2017年京都大学経済学部 卒業
2017年公認会計士試験合格後 大手監査法人入所
2022年大手監査法人退所
2023年会計コンサルティング会社、税理士法人での勤務を経てフリーランスの道へ
ご挨拶
私はあまり強い人間ではありません、特に人間関係の輪の中で悩むことが多く人と比較し常に落ち込んできました。
ただそんな人間だからこそ、人の弱さや悩みに寄り添えたりすることがあるかと思います。
そんな人間が生きていくためには知識を付けるしかないと学歴と資格をまずは青春時代に死に物狂いで追いかけました、その過程で得たものは多くありました、体験談を後世の方にお伝えしたいなと考えています。
柔らかい物腰での対応を好む方にはフィットさせていただけることもあるかと考えております、事業者の方と士業とのお付き合いは人と人との相性が重要だと考えております。
関わっていただける全ての方に感謝を。
出身地
大阪府堺市南区
住んだ経験がある場所
堺市南区桃山台(泉北高速鉄道 栂・美木多駅)
京都市左京区元田中高野清水町(叡山電鉄元田中駅)
大阪市北区豊崎(大阪メトロ御堂筋線中津駅)
神奈川県小田原市本町(小田急小田原駅)
堺市北区金岡町(南海高野線白鷺駅)
血液型
O型
得意なこと・好きなこと
1対1でじっくりお話をさせていただくこと
自分史(生い立ち、過ぎゆく日々の中で感じ・考えたことの記録です。)
出生〜大学入学
1994年8月15日泉北ニュータウン生まれ。
代々父方が堺の家に生まれる。母方は富山。5歳上の兄が一人、研究者。
スポーツ漫画等の影響もあり、アニメの主人公のように運動系部活でカッコ良く活躍することを目指すもののフィールドスポーツが苦手すぎて全くと言っていいほど活躍できず。。野球部なのにひたすらランニングして長距離マラソンだけ強いという何とも中途半端な立ち位置になる。フィールドスポーツはいくら練習しても上手くなる方法が分からず今でも苦手意識がある。その一方でランニングは走れば走るほどタイムが縮んでいき、走ること自体は辛くてもやればやるほど伸びるという感覚がとても好きでハマっていった。
運動部系のスクールカーストで最下位になり、自分には勉強しかないと開眼し受験マシーンと化す。
高校3年生で部活を引退後、ひたすら勉強に明け暮れる。
京大に入れば人生変わると、ドラゴン桜の影響を間に受けて関西の雄を目指す。
能力的には足りる気がせず、暗いトンネルを走り続けているような感覚にひたすら耐える日々を過ごす。
ただ良い成績が出なかったり、勉強の方向性が分からずに悩みまくる日々は辛すぎて、ブックオフで現実逃避に恋愛漫画(BOYS BE等、大学生になったらこんな恋愛できるかなあ。。と妄想する。。)を読んでしまって、自己嫌悪に陥るパターンを繰り返してしまう。
メンタルの荒れ方が尋常じゃなかったように思う、京大にもし入れなかったら自分には何の価値もないと受験勉強にこの時期は人生捧げていたと振り返る。ただ尋常じゃない荒れ方に対して、自分を鼓舞しようとしすぎるアプローチは、むしろうまくいかないのが常だとこの時期の経験から痛感した。
この反省から、現実逃避しても始まらない、辛くても現実と向き合うにはどうすれば良いかをずっと考えている。
また振り返ると生活全体が良くなかった。辛く長い受験勉強を乗り切るためには、受験勉強に目を向けるだけではなく生活全体にもっと目を向けなければいけなかったと今振り返っても痛感する。食事睡眠運動という生活の基礎的な部分に目を向けず、机にかじりついてだけいてもなかなか生産性が上がらなかった。後世に強く伝えたい所。
センター試験(スピンスピン時代の国語試験の成績が悪すぎた。。)の成績も悪く辛い受験生活であったが、最後の2次試験の数学(ベクトルとか背理法とかの問題に助けられた)の成績に助けられ、奇跡的に京都大学経済学部へ現役合格した。今でも合格発表時の驚きの感情は忘れられない、吉田キャンパスの現地まで見にいったが思わずガッツポーズしたなあ。
大学入学後〜ダブルスクールまで
京大に入れば勝ち組になれると信じてやまなかった私は鼻っ柱を折られる日々を過ごす。
あんなに入りたかった大学には特に何も用意されていないのだ。自由の学風、求めよさらば与えられん、求めないと何も手に入らない。
自分でアクションを起こさないと何も起こらないのだということを身に染みて痛感した。
学歴だけではダメだと、資格取得に奔走するようになる。
当初はオールマイティな資格と言われる中小企業診断士を検討したが、取得しても食えない・就職に有利に働かないとの噂を耳にして、これではいけない、難しい資格を取れねばと予備校のパンフレットをくまなく検討した。
たまたま学部の先輩と語学の授業でご一緒する機会があり、ふとお聞きしてみると大学3年生で公認会計士試験に合格し学生非常勤という形で大手監査法人に勤務中だという。
監査という仕事は世の中を見れることを聞き、やりたいことがないのであればまずは監査法人で監査をするのが良いと思うというアドバイスをいただき、これだ!と公認会計士試験に次は邁進し始める。ダブルスクールの道に進むことを決意し大原京都校へ入学。
ダブルスクール〜公認会計士試験合格まで
最初はやっぱり自分には勉強が合っていると感じ楽しかったのも束の間。
圧倒的なカリキュラム量に慄き、これだけのカリキュラムをこなすためにはと腹を決めて、サークル活動からは遠のき、大学の授業はほぼ出席が必要のないもの(なるべく試験だけで単位を得られるようなもの)を意識して選ぶようになり、ゼミも学部で公認会計士を目指す人が多い会計ゼミ(会計界で超有名な徳賀先生のゼミ)に所属するようになる。
生活のほとんどを大原京都校、京大図書館脇の24時間自習室(通称24:トゥエンティーフォー)で過ごす。それ以外の時間は、早朝は大原京都校近くの四条烏丸のマクドナルド、朝〜夜は大原京都校、深夜は高野清水町のミスタードーナッツでひたすら過ごす。お店の皆様、本当にありがとうございました!(最後の方は頼むメニューとかも覚えてくださりましたね。。!)
大原京都校2016年合格目標コースの皆様と切磋琢磨しながら過ごすようになる。
大学受験の経験を活かし、ひとり暮らしということも相まってひとりになり過ぎないことをかなり意識して過ごすようにした。講師と勉強仲間の存在がモチベーションを保つのにとても心強かった、先生方、合格同期の皆様本当にありがとう。。!辛い日々も多かったが皆様の支えに助けられ何とかして大学4年時の夏の試験で無事に合格させていただけた。合格が分かった時は本当に嬉しかったなあ。その後の合格祝賀会でたくさんお祝いいただいたのは良い想い出。
公認会計士試験合格後、大手監査法人大阪事務所入社
試験と実務の違いを痛いほどに痛感する日々が当初は続く。
最初の方は暗中模索が続きとても辛かったが、数年経過してくると現場の監査チームの中で1番対象監査クライアントに詳しい存在になり別の部署から異動されてきたメンバーから頼っていただけることが増えてそこにやりがいを感じた。その部分で何か自分が深く理解したことを噛み砕いて伝達したりする分野に関心があるのではと思い出す。
監査業務としてはこういう事象が起きたから、ここの会計上の数値に影響があるはずと分析して、ピッタリハマってその通りに財務数値が出て来た時の楽しいと感じた瞬間は忘れられない。なかなか全てその通りにはいかない所が奥深い所ではあるが。。
売上3兆円超のBigクライアントのため、全体像の理解にはとても苦心して全てを追い切れるようなものではなかった。チームでの連携の必要性を痛感する。
また大きな会社だと、事業部が違えばほぼ別会社のようなものだなということを肌で感じた。
大手監査法人東京事務所転勤
公認会計士資格取得に伴う、終了考査合格後キャリアを考え直し追加の資格取得を検討しアクチュアリー資格取得支援プログラムのある事業部(金融系事業部)へと異動する。同時に結婚し、妻からの新築の賃貸のリクエストもあり、都内ではなく距離を離れた小田原駅前へと引っ越し。まちの紹介サイトを見ていて素敵そうな街だなと心惹かれたことも大きな要因でした!
小田原はとても住み心地が良く、永住したいとまで感じた素敵なまち。
ここで出会った仲間達とは今も定期的に会うことがあり第二の故郷となっている。小田原もくもくワーケーション会という会の立ち上げに参画しまちの役に立つ独立士業という選択肢も考えるようになった。
https://odawara-mokumoku.studio.site
本業の方は新幹線通勤ができる東京事務所であったため、小田原→東京駅の新幹線通勤生活をスタートする。
大手生命保険会社、子会社の損害保険会社、小額短期保険会社、REIT、ホテル運営会社、資産運用会社等完全に金融系だけではなく種々様々な監査クライアントの担当となる。大阪事務所時代は限りなく1社に貼り付けであったが、東京事務所は全体の仕事量も多くマルチタスクの課題に大きく直面することになる。生産性を上げるにはどうすれば良いかの課題に常に向き合っていた。
生活面での今後の子育て等のライフイベントを踏まえると、妻の実家近くへのUターン願望が日に日に大きくなり総合的に考えて関西方面へのUターン転職を決意し、実行した。
小田原ではまちのコワーキングスペースで送別会を開いてくれた、皆様ありがとう。。!
会計コンサルティング会社へ初の転職
色々なことを関西方面で経験できるファームとしてエージェントの方から紹介いただき入社させていただいた。
PMI、グループ会社での監査業務をメイン業務として実施。
PMIという業務は馴染みがなかったが、PEファンドさんという会社を買って企業価値を上げて売却する投資会社さんからの依頼により、M&A後買収対象会社さんのバックオフィス業務を整備する等M&Aの後をスムーズに行うためのお仕事であった。秘匿性の高いM&A関連の案件のため詳細は記載できないものの、とてもレアな業務のため貴重な経験をさせていただいた。案件を通じて関わらせていただく方々のIQレベルの高さにただただ驚きの日々でした。
関与させていただいた案件の落ち着きがあり、個人として今後活動していく場合には税務業務が必要になるかと判断し、正社員から業務委託の形へと切り替えさせていただき、監査業務・会計コンサルティング・税務業務の3足のわらじを履く生活へと突入することになる。
フリーランスの公認会計士・税理士へ転身
フリーランスへの転換後には税理士資格の登録もすぐに実施しフリーランスの公認会計士・税理士として活動を開始する。
税理士登録を契機に、「ひとり税理士」として活動される方々の先駆者から学ぼうと各種セミナーやオンラインコミュニティに参加する。会計税務とはまた異なるHP・ブログの作り方(Wordpress)、営業、発信活動等サラリーマンの視点とは全く異なるフリーランスとして必要な学びを多く取り入れることになる。視点が大きく変わり学ばせていただいた方々に深い感謝。
士業の実務としては、監査業務、各種会計コンサルティング、税務実務、付随する補助金や融資支援関連業務を実施している。
専門知識を伝達する教育活動に深い関心があり、士業以外の文脈においては、講師応募へのチャレンジ、起業支援施設での各種セミナー講師への登壇、共創施設でのプログラム応募(Blooming drive)、起業プログラム(堺市Sーcube SIP U30)への参加、オンラインコミュニティ(結UNITY)での会計簿記勉強会の企画等に日々取り組んでいる。